テレビ局は公平性を確保しているか?

法案抗議のブラックアウトは是認できるか 米国ネット企業の暴走を考える|岸博幸のクリエイティブ国富論|ダイヤモンド・オンライン.

 

 そうした肯定的な評価ももちろん可能ですが、同時に、ネットというメディアの問題も明らかになったという解釈も可能ではないでしょうか。

 今回の抗議活動に参加したネット企業の多くは、ネット上のプラットフォーム・レイヤーで情報の流通を牛耳ることができる立場にあります。そうしたネット上での情報への入り口となるプラットフォーム・サービスを提供するネット企業は、テレビや新聞などのメディアと同じかそれ以上の影響力を持っていると言えます。

 そうした立場にある者が、法案に対する自分たちの解釈、自分たちが問題と思う点だけをネットのプラットフォーム上で流してユーザを煽動するというのは、危険であり問題ではないでしょうか。それは、例えばテレビ局が、自分たちに都合の悪い法案の問題点を番組で1日中流し続けて視聴者も反対するのを求めるのと同じだからです。

 テレビ局がそれをやらないのは、メディアとして報道内容の中立性が規制によって求められているからです。ネット上のプラットフォーム・サービスは、今やテレビ局と同じ位の影響力を持つメディアとなったと考えるべきであることを考えると、今回のネット企業のある意味で行き過ぎた抗議活動は、マスメディアは規制するけどネットは非規制という今の制度を考え直すべき時期に来たことを示したのではないでしょうか。

 実際、法案を推進している議員やハリウッドのロビイストからは、「法案への反対でブラックアウトをやるのは、ネット上でのそれらサイトの影響力の大きさを考えると権力の濫用である」、「ネット企業は意図的に法案の問題点を誇張して市民の恐怖を煽り、違法サイトによって得ている利益を守ろうとしている」、「ネット企業は市民に対して事実より恐怖を喧伝している」といった声があがっています。

アメリカだとどうかわからないけど、日本のテレビはメディアとしての中立性はとっくの昔に失われている。規制はあるのかもしれないが事実上無視されている。

日本では「報道しない自由」はマスコミの権利として捕らえて、テレビ局、広告代理店、スポンサーのいずれかにとって都合の悪いニュースは報道しないことが慣例化している。

古い例では、サラ金(消費者金融)は1970年代のドラマでは、サラ金の取り立てで困っている人というのは時々描写されたが、消費者金融がスポンサーになってからはそういった描写が禁止されたかのようにテレビ上から消え去ってしまった。

新しい例では、AKB高橋の母が逮捕されたという事実は一般的にはマスコミがゴシップとして報道する事だが、結局なかったことにされかけていた。

これらの事から、マスコミはスポンサーのためのメディアでしかないという前提で考えたほうが良いだろう。

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投稿者: hideomochizuki カテゴリー: blogs, diary

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